何年ぶり?

三回忌がすみ、それから半年の間に親族、友人がさらに亡くなり
喪服をクリーニングに出しては、すぐに着ることが続いた。

たしか、7~6年くらい前も葬儀が続き(あの時もわずかな間に
10人以上旅立ったことがあり)、それからあの東北の地震が来たのを思い出す。

悲しみが  くやしさに変わり
なげきが  後悔に近づき
脱力感が  重しとなって夜を彩り始め
不眠の波にゆられていた   あの頃

今もまったく状況は変わっていないのに
いやそれ以上に悪い現実が実際にあるのに
なぜか  不眠にもならず  捨て去るものを選別できた

服のたぐいは大々的に
趣味でしていたものは最低限の物を残し
子供が学校の工作に持っていくかもと
取っておき、使わずに埃をかぶるくらいに
放っておいた物も、、、今回は思い切って捨て去った
片付けに専念できる時間と それ以外の時間
以前と違って 区別をつけられることが、ありがたかった


亡くなる方と自分と 
死者と生者の境がなんとなくあるように思っていたあの頃
彼岸と此岸の感覚

幾人もの旅立ちに会い
いづれはその仲間になるのだと
ようやく思えた
今の生は  いづれいつかの旅立ちへ続き 向かっている
最初のころ綴った「死から見る生」と似ているけれど、心もちはだいぶ違う

じたばたして  みっともなくて  悟りなんか開かず
欲と向上心の違いなんて考えず  できることしたいことに向き合い
でも  前後の見境は なくさないこと


いったい何年ぶりだろう・・・・・・。
ようやく落ち着き始めた自分をもう一人の自分が見ている感覚は。
                                                                          








                                                                                                                                                                                                                                                                                   
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by hitomi8114-i | 2016-03-13 22:15 |

内から ・・・ 外へ

あの皆既月食のあと、、、
沈んでいたことがようやく浮かび上がってきたようで、、、。

睡眠不足と身体の不調がスッと引き
食欲も出て 玉子かけごはんなんぞを、「あ、おいしい~~」と
続けざまに口の中で咀嚼しては 何回も実感していた。


何が変わったか・・・。


以前 ここに書いた 「三葉虫の眼」 に近いことを
褐色に滲んだ雲から仄見える赤茶の月を見ながら思ったからか?

ただ違うことがひとつあった。

「三葉虫の眼」のごとき視点が内から外に向き始めている感じ



 
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by hitomi8114-i | 2014-10-11 05:56 |

ぎり日

               

ぼーーーーーとしたかった。








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ひる前から、、、、、、、、、、、、、、、
ゆうくれ近くまで、、、、、、、、、、、、

存在感を消し去ろうとした日






これでまた しばらくは がんばれそう。
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by hitomi8114-i | 2013-06-02 12:00 |

花うつろい

髪を切った
五月の連休前に
こいのぼりが目に飛び込んで来た日



肌寒く コートの前をきっちりと合わせていた
木々の芽は バスや電車の窓から過ぎ去り
乱桜は道を彩り  雨に濡れたさつきが傘の隙間から見えた

わずか四ヶ月なのに このひと季節が 夏も秋も冬も超え
翌年の五月が巡ってきたように思える。


c0159048_7195258.jpgもうすぐバラの季節


香りで 過ぎた時を包んでしまいたい。
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by hitomi8114-i | 2013-05-04 06:14 |

歩(すすむ)

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by hitomi8114-i | 2012-03-19 05:15 |

空音

           陽は 3 m以上も積もった表面をサッと撫で

           素知らぬ顔をして 通り過ぎようとしていた

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           肩のふるえが 手元をゆるがせ

           淡雪をすくい取った画をゆがませる

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           人のいない バス停

           太陽を覆い隠す  雲

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           “見舞い”としての 空音(そらね)だけ

           融けてしまったら、、、いいのに  












              


               

               
               
                              
               
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by hitomi8114-i | 2012-02-21 22:44 |

念の行方

北の秋は早い
ストーブが晩・朝と焚かれ、こたつのぬくもりが嬉しい。




墓に花をたむけ
離れている 菩提寺に向かう途中の石畳……

墓に手をあわせながらも、、、
命日に来ることができなかったいいわけめいたことを 住職に自己嫌悪雑じりに話しながらも、、、
いったい、あなたの魂は何を求め、何を感じて彷徨ってしまい その胸にどんな思いを抱き 語りたかったのかと今更に 頭の一点で思念していた。

墓に念を届けても
菩提寺でお経を唱えられても
精進落しで個人のことを語っても
一向に その思念は消え去らない
たぶん、ここにいない魂に念を送っても、答えなどでないのだろう
せめて 「気」を感じ取りたいのに、勘の鈍さが恨めしい


月日が 薄れさせてくれるのだろうか・、、、。
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by hitomi8114-i | 2011-10-22 04:25 |

強がり

知らなかった中身
見つめることが怖かった中身
思い込んでいたことと真逆だった中身

ラッキーだと思えばいい、、、、出会えたのだから


虚ろな眼差しの向こう  何も見えてないと感じても
時間がこぼれ落ちて行く  呼吸と心臓の不随意筋だけの『生』だとしても
『病』という名への戦いだけが……残ってしまっても

『生』を慈しめばいい、、、、骸(むくろ)になるまでさすり続けよう。その側にいていいなら

抱えきれないほどのオモイで 溢れたら
立ち上がれないないほどのオモイで 目を閉じてしまったら
オモウことさえ邪魔になり 過食と拒食 リストカットの渦に入り込んでしまったら

ありのまま・罪に問われること以外で曝せばいい、、、、オモイは行き先を示してくれる


身を囲おうとしている  そんな強がりで・・・ 
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by hitomi8114-i | 2011-09-27 03:29 |

ジブンをワラウ

そこそこでいいやと、セーブしている。
ネガティブで、臆病になっている。
動かなくてはいけないのに

前に出すぎないように。
口だしするのを抑え 
手だしもやめた

こんなに嫌なヤツだったんだと、、、ため息をつき
恨みがましいヤツだったんだと、、、驚いている
品性を疑われるような自分に、、、呆れている

口も手も足も出てこない
ただ見ている
同じ場所に佇んでいる

自分を嗤いながら
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by hitomi8114-i | 2011-08-10 19:22 |

覚書5 満たされて、、、でもごめん。

覚書5…。
もう……ここに書く事さえ恥かしくなるくらいだが、、、書いておこう
今だけかもしれないのだから。
一瞬の連続の、その輝きと慈しみを、、、受け取っているのかもしれないのだから。

以前、、、甘えについて書いたことがある。
そう、、、私は親に甘えたことが自発的には無い。
恥かしいからではなく、「甘え」という概念が無かったから、解らなかった。
自分の言ったことを押し通す頑固さや、聞き分けの無さ、、、それらが実の親だから出せる「甘え」だといわれれば、その面では多分出していたのかもしれないが、少なくとも、一般的にいわれる「甘さ」は、無かった。


もう、十分に大きい、背丈が私より高くなった子供が、
するっと布団の中に入り込んで来て言う。
「ん~~あったかい」
おなかに手が回され、お風呂上りの太ももの温かさがこちらの身体に伝わる
互いに左を下にして横になっているのに、お風呂上りの身体から漂う香りが布団の中でさらに発酵するように鼻先に香ってくる。
「どうしたの?なんか、あった……」
「ん~~なんも、、、。こうしたいだけ」
安心するんだ と、ゆっくりと小さな、もしかしたらそのまま寝込んでしまわないかと気になるくらいのかすかな声がそこに重なる。

世界の中では紛争も
痛々しいくらいの悲しみも
切ない愛の言葉が交わされる恋人たちの語らいも
ありとあらゆる出来事が
この一瞬起こっているのだろう

でも ごめんなさい

今この一瞬に死ぬ事が出来たなら、、、私はもういいと、思ってしまった。不覚にも。
それほどに、、、満たされていた。
自分の親に感じなかったものを
子供が与えてくれている

逆にいえば、
私は親に、、、この感覚を与えていないかもしれない


親は子供を育てる中で「親」になる
その子供がどんな資質を持っているかを、、、主観的に、さらには客観性をもって見つめ、その両方の中で揺れ動きながら、、、、父と母となった二人の価値観と教育に対する感覚の違いが表に現れるなかでの、不毛と思えるほどの会話が重ねられ、やっと表に現れたものをその子へ出し、その反応や結果としてのその子の言葉や身体に耳を傾け、さらに進む中で、やっと少しだけの「何か」がその子の中に基礎となって存在することになるのだろう。

本当に、少しだけ、、、親からの影響が、将来何らかの形にあらわれるのかもしれない。
元々は、もう、、、その子自身の中にあり、変えることも、失くすこともできないのだから。

どんな育て方をしたかは、その個人の育ちにはイコールの形で直結しないと、思っている。
どんな人間になるかは環境も確かに大切で、何を植えつけられるかにもよるが、元々のもので全く違ってくるのだろう。


だから、自分の親に「ごめん」などといってもしょうがないとは、判っている。
親は親なりの感覚があるのだろうから、、、。


でも、それでも、この慈しみを感じさせることができない私という存在が、、、ごめん、、、という言葉でしかいえない。
心のなかに湧くこのぬくもりと同じ感覚を感じさせているとは、、、思えないから。



*********


いつの間にか眠っていた。
おきたら子供はもう、いなかった。
起きてすぐに思ったこと
覚書5でした。

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by hitomi8114-i | 2010-11-28 04:57 |

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